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一般社団法人明石青年会議所 63代理事長の成田收彌と申します。
2022年度の明石青年会議所は、
基本理念に「私たちが生きる意味を表現する舞台として明石のまちを大切にしよう」
を掲げており、私たちが住み暮らす明石のビジョンを明確にして活動をすること、
その活動を通じて会員それぞれ自らの中にある価値観を貫徹することを目指しています。

「基本理念」

私たちが生きる意味を表現する舞台として
明石のまちを大切にしよう

「基本方針」

人が集う空気を創ろう
愉しんで楽しませよう
みんなのためにやろう
礼節を身に付けよう
自分を知ろう

明石における青年会議所運動は、1959年に56名の尊敬すべき先輩諸氏により始められました。
戦時中6回にわたる空襲によってまちの約6割を焼かれた明石も高度経済成長期ではあったものの、まちの課題が多数存在したことは想像に難くありません。
先輩諸氏のまちをより良くしたいという精神は今の時代にも引き継がれています。昨年度、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、日本国中、もちろんこのまちにも多くの課題を突きつけました。
このような状況下でも明るい豊かな社会を目指すための青年会議所運動の必要性は全くもって変わりません。それどころか、まちが危機にある中、危機を脱するための青年会議所運動の必要性は増しています。
このような時代だからこそ先輩諸氏が苦難の中、まちのために立ち上がり、尽くしてきたことに想いを致し、今こそ青年会議所運動を推し進めましょう。ただ、多くの制約がある中、従来通りの運動・活動を思うようにすることはできないかもしれません。
また、現在の社会は、自粛を余儀なくされることが多々あり、人々の心の距離は離れ、ぎすぎすした社会になっています。自粛警察といった言葉に象徴されるように、厳しさのみをもって他人に対して接する人が増加しています。そのようなときだからこそ、JAYCEEは人に対する優しさや思いやりを忘れず、人と人との距離をつなげる、そのような心構えで活動をしていきましょう。我々は、社会を変革する団体です。我々の運動・活動をも変革することを恐れてはなりません。また、この激動の社会の中で、先んじて変革を成し遂げましょう。

一般社団法人明石青年会議所
第63代理事長  成田 收彌

右手ポケットいれたまま少年息絶えた
その手取り出し見てみたら割れたビー玉にぎってた
悲しいな 悲しいな
欠けてしまったその玉の他に宝はなかったか…
やがて雪は降り積もり 静かな季節となりました

「自分を知ろう」

 スマートフォンやデジタルデバイス、私たちの暮らしには欠かせないものになったのはいつからだったでしょうか。日記代わりのSNS、読みたい本や見たい映画もダウンロードしておけば手軽にいつでも確認できます。家族や仲間、旧友ともチャットアプリで常につながっていれば安心です。
 私は書斎に惹かれます。そこにあるものすべてが持ち主は何者であるかを語っているかのようです。それらは読み返すために並べられているというよりも、自分は何者であったかという持ち主の記憶そのものに見えます。
 私は直筆の手紙が好きでした。もらった手紙は読み返し、送り返した後も読むものでした。出す前の手紙は読み直し、前回は何を書いたっけ、と記憶をたどります。
 私はかつて旧友との再会が好きでした。それは感動を伴うものでした。しかし、ぼんやりと近況を把握し合える今では、再会に感動すると言うと嘘になりそうです。
 あなたは誰ですか?あなたと同じ造形、同じ物質、同じ能力で生成された人がいたら、それはあなたですか?そんなことを考えるとき、私は私の記憶こそが私であると思うのです。
 今日、私は日々の多くの行動が対応的です。自分の外からの依頼や約束に適切に応えようと努力しますが、結果的には合理が先行し、情緒を欠いた人間に成り下がってしまいました。 自分が何者であるかの記憶を遡ることから離れることで、私が存在してもしなくても、世の中の大勢には然したる影響はないのではないかと思えてきます。
 「自分を知ろう」これは私が中学生の頃に読んだ文庫本の小説に挟んであった栞に書かれていた言葉です。もう四半世紀も前の経験ですが、今でもこの言葉は私の宝物です。当時を思い出していると、自分の内から何かが湧き上がってくるのを感じます。この自分の内から聞こえる声のような情緒を頼りに行動すれば、自分が存在した意味を形にできる気がしてくるのです。

「ファミリー」

私は幸せな人間です。自分が生まれ育った環境全てに誇りを持っています。中学以降、私は明石市外に進学していました。同じ兵庫県内でしたが、私の話す言葉が少し播州弁のニュアンスを持っていたため、「明石弁!」と同級生は馬鹿にしました。中学高校と続けていたバスケットボールを辞め、大学ではアメリカンフットボール部に入部しました。チームメイトは、「バスケ部って性格の曲がったやつが多いよな」と言いました。東京で新社会人になったばかりの私は、アメフト出身者が「使えないヤツら」だと思われないように気を張っていました。またある日の私は、「あなたに流れている血は受け入れられない」と否定されました。明石青年会議所に入ったばかりの私に対し、青年会議所に入ったことのない人が「所詮JCなんか知れている」と笑いました。
 自分で選んでいようがいまいが、私が背負っているものや、私が所属した組織の誇りを守ろうと生きてきました。そうやって突っ張ってきたことは、少なからず私を鍛えたと思います。私の家族や親族、友人、仲間、先生、育ててくれた組織を馬鹿にされるのが我慢ならなかったのです。他と比べてどうだ、優れているだろう、という話ではありません。物事をいろいろと比較することは大切ですが、比べてはいけないものがあります。それはファミリーです。
 積極的に背負うことで強くなれるのではないかと思います。明石青年会議所も多くの仲間をファミリーとして迎え入れることができます。そうすることであなたの記憶は私の記憶となり、私の記憶はあなたの記憶となります。さらに迎え入れた仲間にとっては、社会や制度のような損得を突き付けられる場所とは違った居場所を手に入れたことになります。そのような場所にいることで、多くの人はようやく自分の内からの声が聞こえるようになるものだと思うのです。

「明石青年会議所」

 1959年、56名の尊敬すべき先輩方は明石の地に青年会議所運動を生み出しました。
 その創始のエネルギーは62年という長い時間を経て、青年会議所という型は今日の明石青年会議所という形となりました。私の人生の時間を大きく超える歴史を持つこの盤石の仕組みは、今を以て揺るぎありません。これは驚異的な事実として頭を垂れるべきものです。しかしその一方で、この62年間の青年会議所運動の歴史がその型を守ることに終始していたとすれば、今ここに私たちは集結していたのでしょうか。
 型とは何なのでしょう。私は大変な思い違いをしていたのかもしれません。型は私たちを縛るものではなく、自由を与えてくれるものだと気が付いたのです。明石青年会議所の型を守ることで、62年の蓄積は私たちの背中を押してくれます。個人では到底生み出すことのできなかったエネルギーにアクセスすることができるのです。徹底的に型の合理を求めることで組織の屋台骨を守り、自分の内から聞こえてくる情緒こそを肉としてそこに搭載する。想像しただけで私の心は軽やかに、この背中にはすでに片翼が準備されているかのような気持ちになるのです。
 あなたの心も晴れやかであることを祈ります。何も恐れることはありません。礼節と儀礼さえ忘れなければ、すでに私たちは許されているのです。私たちは自由です。

勝利を望み 勇みて進まん
大地踏みしめて
ああ、希望にあふれて 我らは進まん

「庭づくりをする人たち」

 人間の行動のなかで、子どもを育てることは別として、庭づくりがいちばん楽天的で、希望に溢れたものです。庭づくりをする人は計画的で、少し先のことでもずっと先のことでも、将来を信じ確信している人なのです。インゲン、エンドウマメ、リンゴ、プラム、バラ、ぼたん-いろんな植物の種をまいたり、植え付けたり、接ぎ木をしたり、増やしたりするのは、将来に対して積極的な賭けをするということです。これからまだ何週間も、何か月も、何年もあるのだと宣言するようなものです。50年や100年以上もかかる苗木を植える人にいたっては、楽天的なばかりか、次の世代にとっての大恩人でもあります。
 いつも戦争のことを考え、それを予想してこわがっている人、人類と地球の終末を思う人、魂がしぼみ、時代の困難や脅威に打ちひしがれている人、希望も慰めもないと思い、新しい夜明けのかすかな光も見ようとしない人。そんな人たちと庭づくりをしましょう。庭づくりをすると、勇敢で大胆に、やさしくて冷酷に、几帳面ででたらめに、おだやかで忍耐強くなることを、順繰りに覚えていきます。何よりも今日という日を満喫し、明日に希望を持つことを覚えるのです。
 偶然かもしれませんが、斜面で生き続けることができないのは人間だけだったのです。庭づくりの起源は生活を確保すること。その延長線上には景観美の追求がありました。私たちが暮らすまちを美しくしましょう。舞台は明石公園の四季の中にあります。
 さらに思いを馳せてもらいたいこと。それは人が定住する前の明石には、きっと何もなかったということです。50年や100年どころではない先の未来へ、明石のまちを残した大 恩人がいたということです。今の明石を形作ることになった古来の視点にも、思いを馳せてみてはどうでしょう。

「美しい矛盾」

 キリストはユダヤ教にとっての破壊者でした。二千年以上も前の、ひとりの青年による短い期間の活動が新約聖書には記されています。キリストは誰よりもユダヤ教における聖書の教えを深く追い求め、実践し、そして十字架にかけられました。あらゆる美は、偶然的です。権力は必然的ですが、暴力は偶然的です。別れは必然的ですが、出会いは偶然的です。私は自身の中に矛盾を内包しようと心掛けています。そうできていないのはご愛嬌。ここでは、そのきっかけとなった気付きについて紹介しようと思います。それは「九徳」という言葉との出会いです。
寛にして栗(寛大だが締まりがある)
柔にして立(柔和だが事が処理できる)
愿にして恭(真面目だが丁寧でつっけんどんでない)
乱にして敬(事を収める能力があるが慎み深い)
擾にして毅(おとなしいが内が強い)
直にして温(正直、率直だが温和)
簡にして廉(おおまかだがしっかりしている)
剛にして塞(剛健だが内も充実)
彊にして義(豪勇だが正しい)
 これは相反する言葉が対になった9つの徳目です。一つひとつは難しいことを言っているわけではありませんが、これらの相反した要素を自分の中に内包することは簡単ではありません。これらの実践の先に人望あるリーダー像が見えてきそうです。
 私はこれらの徳目を暗記してほしいと考えているわけではありません。むしろ、これらの相反、矛盾が生んでいる効果にこそ目を向けてほしいのです。例えば「寛大だが締まりがある」の逆は「こせこせとうるさいくせに、締まりがない」となります。これも相反であり矛盾と言えますが、到底魅力のある人物だとは思えません。醜い矛盾もあるのです。加えて「寛大で締まりがない」では、あまりに普通で必然的だとも思うのです。
 勝って兜の緒を締めよ、安くて美味い、気は優しくて力持ち等々、価値は良い矛盾の先にありそうです。「明石市は子育て施策に力を入れることで人口増に成功しているのに、」これに続く良い矛盾は何でしょう?そして、あなたの良い特徴にも目を向けましょう。自分にどんな矛盾が加わると、価値が生まれますか?

「信頼つくりかた」

修理工がボールを投げると、老運転手が胸の高さで受けとめます。ボールが互いのグロー ブの中で、バシッと音を立てるたびに、二人は確実な何かを相手に渡してやった気分になりました。その確実な何かが何であるのかは、私にもわかりません。
 ある日、父に言われました。「お前は息子を釣りに連れて行ったこともないのか?」と。私も釣りをしたことがないことを伝えると、悲しい気持ちになりました。私は父とキャッチボールもしたことがなかったのです。
 子どもはとてもかわいい存在です。いろいろと遊んでやりたい気持ちはありますが、私には難しいことでした。ですが、焚き火の世話とフリスビーでなら自信を持って子どもと遊ぶことができます。それは父とそうした記憶があるからです。
 誰か私にキャッチボールを教えてください。釣りにも行きたいです。もちろん子ども達と一緒に。虫捕りが得意な人はいませんか?他にもきっとあるでしょう。一年間、しっかりと子ども達と遊んでみたいのです。言葉や意味とは違う方法で、わからない何かを伝えられる気がするのです。
 子どもを育てる中で、社会の制度が仮に不十分だったとして、文句を言うだけで何のアクションも起こさない親がいたとします。はたしてこの人物は本当にその子にとってのファミリーと言えるでしょうか。私たちのこの手で、次の世代を生きる命の中に、内から湧き上がる情緒の種を植えていきましょう。

「脱・五国」

 丹波、但馬、播磨、摂津、淡路の旧五国で成立する兵庫県は「多彩な文化・歴史、風土」を持つことから「まとまり」がない、ひとつではないと言われてきました。例えば、兵庫県人会も他所の地域に比べ、長らくできませんでした。実際は兵庫県には、備前等の西の2か国の一部も含まれており、厳密には7か国で構成されています。佐用郡佐用町石井地区は美作の国、赤穂市福浦地区は備前の国です。
 兵庫県の多彩さの要因のもう1つは、江戸時代の統治縮図にもあります。もともと幕府は大阪の富を警戒し、兵庫エリアに大藩を置かない政策をとってきました。そのため兵庫県域には、姫路藩の15万石が最大で、あとは明石藩、龍野藩、豊岡藩、篠山藩、出石藩、赤穂藩という5万石ほどの大名領と1万~2万石の大名が16、幕府直轄領・天領である神戸・兵庫港や生野銀山等、旗本領82、県外の藩が20、公家領3、寺社領13もあり、領主は135人以上いました。
 幕府の支配構造に加えて、兵庫各地には、酒、塩、銀山、豊かな水流による穀倉地帯を持ち、経済的に自立できるところが多かったのです。このような理由で全国有数のモザイク模様の支配があり、山を越えると歴史や文化が違うといった状況が生まれました。 
 2022年度は、第55回ブロック大会が明石で開催されます。「多様な特徴を持っているのに、ひとつにまとまることができる兵庫」が表現できると素敵ですね。

Q(n,p)=1-(1-p)n

 第二次世界大戦時の話です。ハンガリー軍の小隊長は訓練を目的に、偵察隊をスイスのアルプス山脈へ送り出しました。不幸なことにその直後から激しい降雪が2日間続き、軍は訓練に出た偵察隊の全滅を覚悟しました。ところが3日目になると偵察隊は無事帰還したのです。帰還した隊員はこう語ったそうです。
 「われわれは迷ったとわかって、もうこれで終わりかと思いました。そのとき隊員のひとりがポケットに地図を見つけました。おかげで冷静になれました。われわれは野営し、吹雪に耐えました。それからその地図を手掛かりに帰り道を見つけ出しました。」
 しかし後に確認してみると、その隊員が言うポケットから見つかった地図はアルプス山脈の地図ではなく、ピレネー山脈の地図だったことが分かります。偵察隊は同じ「間違った地図」を頼りに、何度も試行錯誤を繰り返すことで家族や仲間の元へ生還したのです。
 私たちの運動は、誰かの考え方と行動を変えるためのものです。それこそがゴールです。しかし、それを成功させるための正しい方程式は存在しないと言えるでしょう。それは世の中があまりにも不確実性の高いところだからです。
 明石青年会議所の取り組みや事業を正確に伝える、まずはこの考え方を捨てましょう。
「誰の、考え方と行動を、どう変えるか」というゴールを定めて何度も情報発信でアタックすることです。広報戦略は、「間違った地図」で良いのです。アルプス山脈とピレネー山脈のように、類似している必要はありますが。
 p:一回の試行の成功確率 n:試行回数 この場合のイノベーション確率 Q(少なくとも1回は成功する確率)は、「Q(n,p)=1-(1-p)n」です。p:10%で、n:10 回の場合、Q はおよそ65.13%になります。生きてゴールできるか?試行回数が成否を分けることは一目瞭然ですね。

三位一体

 私たちはスポーツを見て感動することがあります。スポーツ競技はその動作や結果そのものが私たちにとっての直接的なメリットになることはほとんどないと知りつつも、競技それぞれのルールの中で競い合う姿や、輝かしい瞬間に、見る者全員が心をひとつにして盛り上がることができます。子どもたちがその姿に憧れ、同じようになりたいと夢を見ることもあります。競技の種類によって人気の大小がありますが、例えば野球の場合はどうでしょう。球を投げ、棒で打つ。これを私たちは見るわけです。それだけのことに対し、なぜ応援したり、優れた選手を褒め称えたりできるのでしょうか。
 インフラ、ツール、教育。熱狂とも言えるような上昇気流を創り出すことに成功している業界は、この3つの要素が相互に影響し合い、そこに関係する様々な立場の人々が競い合うことで進化を続けているのです。上向きのスパイラルを生み出す核として、この3要素は様々な業界で確認できるはずです。では、この上昇スパイラルが創り出したものの正体は何なのでしょうか?それは「文化」です。ブームに終わるものと文化として続くもの、その違いはこの3要素とコンテストが機能しているか否かに見えます。
 文化を簡素に説明するならば、「同じ型を持つ共同体」と言えるでしょう。地域社会にとって、災害から大切な人や自分、地域を守るということは永遠のテーマだと言えます。これをブームとして断続的にフォーカスするのではなく、文化として昇華させるための連続的な上昇スパイラルを描くことです。三位一体の発想で災害に備えましょう。

「良い旅を」

 個体、液体、気体。炎はどれでもありません。炎は現象です。では愛は?記憶は?どうでしょうか。みなさんそれぞれのことを最もよく知っている人は誰でしょう、思い浮かべてみてください。親友?兄弟?両親?先生?パートナー?それとも、あなた自身でしょうか。
 知らない場所に旅に出たり、知らない人に出会ったり、思ってもいない出来事に遭遇したときに、人は自分でも知らなかった自分に出会います。私自身、そしてあなた自身、自分のことをまだまだほとんど知らないのです。
 あなたはどこへでも行けますし、何者にだってなれます。その機会は準備されています。
まだ知らない新しい何かに会いに行くということは、新しい自分に会いに行くということなのです。そこで出会う新しい自分が、魅力的だと良いですね。旅先でどんな現象が起こるのか、それはあなた自身がどんな素材であったか次第です。旅は希望ですが、その一方で冷酷な側面を持っています。
 怖がらせる気はありません、ここはシンプルに考えましょう。事実よりも重たいものはないのです。旅先で実際に起こった現象こそが、知らなかった新しい自分自身であるのならば、より良い自分になることは簡単です。素敵な現象を起こしに行けばよいのです。そのチャレンジに失敗したとしても、それをとやかく言う人の声に耳を傾ける必要はありません。チャレンジしないより何倍も上等です。あなたの人生の旅が、素敵なものでありますように!

結びに

 人生の歩き方、私たちはそれを誰にも教わることができません。
世界は昨日と同じ今日を繰り返すことはできず、今この瞬間にも変化し続けています。
私は誰も救うことはできず、救われる人は自分で自分を救うのです。
不確実な未来を生き抜くために必要なものは何か。
それがイノベーションなのだと思います。
私たちが共同体として、そこに所属する個々人が日々取り組むべきことがあるとすれば、イノベーション確率を高めることなのです。
さらにこれは、特定の誰かの取り組みで終わらせるのではなく、組織として全面展開しなくてはなりません。
 イノベーション確率 Q を導き出すための公式は「Q(n,p)=1-(1-p)n」であり、試行回数の重要性は前述の通りなのですが、その確率を高める方法は5つあります。
それは、「イノベーションドメインの設定」「試行回数 n を増やす」「探索精度 p を高める」「探索メカニズムの是正」「ガバナンスの設定」の5つです。
 ここで最後に触れておきたかったのが、「イノベーションドメインの設定」についてです。
ドメインを定めるとは一体どういう意味なのでしょうか。
それは、自分の命を使う理由を定めるということです。こればかりは誰かに指示してもらうわけにもいかず、最後の覚悟は自分自身で決める他ありません。自分の命の使い道、それを私たちは「使命」と呼びます。
さぁ、あなたのことを私にも教えてください。あなたはどこから来てどこへ行くのですか。
何のために生まれてきたのでしょうか。私たちはその答えをファミリーとして共に記憶し、
ゆるぎない事実としてこの明石のまちに残して行くのです。