今年も8月15日を迎えました。
昭和20年1月19日、、明石の町は、川崎航空機明石工場が標的となり、
兵庫県下初の本格空襲を受けました。
以降、
6月9日、
6月22日、
6月26日、
7月7日、
7月28日
と計6回
攻撃機 260機
投下爆弾及び焼夷弾 1,614
死者、不明者 1,560人
負傷者 1,159人
家屋の全焼 11,108棟
家屋の半壊 2,614棟
罹災者数 56,971人
結果として、終戦直後には、市の約70%が焼失し、
明石の町は壊滅的な打撃を受けました。
明石公園に避難するも、公園中心部や陸上競技場付近にも爆弾が投下され、
公園内だけでも250名を超える市民の方々が犠牲になりました。
また、
非情にも、7月7日、70年前の七夕の日。
明石の夜空には
過去最大の124機の爆撃機が飛来し、
過去の爆弾とは種類を変えて、975tもの焼夷弾を投下され、
最後の仕上げとばかりに明石一面を焼け野原にしました。
私たちの見上げる明石の空には、胸が張り裂けるような悲しい歴史があります。
私たちの住む明石の地には、大量の瓦礫と、人々の血液が浸み込んでいます。
楽しい歴史や嬉しい思い出は、時に人を間違えた方向へ誘います。
悲しい歴史や辛い思い出こそが、律する心を強くし、正しい方向へと導きます。
明石市民として豊かな時代を正しく過ごすために、
思い返す心の作業が必要です。
当たり前でない事を意識する心の作業が必要です。
明石の悲しい歴史に立ち止まり、犠牲になられた全ての戦没者の御霊に追悼の意を、そして
明石の町を復興に導いた先人の方々に改めて感謝したいと思います。
当時の明石警察周辺の様子と明石公園に設置された慰霊碑